Sep 25, 2019

自分らしいバランスは、 正直な選択から。

順仁堂 遊佐病院  

川村 恵理子(かわむら・えりこ)さん

酒田市出身/酒田市在住  30代

 

▼高校卒業後の歩み

・1年目〜

養護教諭を目指し、長野県の看護大学に進学。

・5年目〜

東京の病院に看護師として就職。忙しくも充実した毎日を送る。

・10年目〜

子どもができたことをきっかけに、仕事を辞めUターン。

・11年目〜

遊佐病院に入職。東京での仕事とは違う、地域密着型の看護にやりがいを見出し看護主任として活躍している。

 

「進学先を決めた時点で目指していたのは、看護師じゃなかったんです」。

社会人になってから、看護師一筋で歩き続けてきた川村恵理子さんの第一声は、意外なものだった。

「養護教諭になりたくて看護大学に進んだんですが、入学後に『狭き門』であることに気がついて。実習などを通じて看護師の仕事への興味が湧いたこともあり、働きながら資格を取ることもできるだろうと考え、まずは看護師として働くことに決めたんです」。長野県での大学生活を終え、東京の病院で看護師としてのキャリアをスタートした川村さん。手術直後など、緊急度の高い患者さんの多い部署での毎日は、忙しくも大きなやりがいを感じられるものだった。プライベートも庄内にはない経験ばかりで大充実。当時は「ずっとこのまま東京で暮らすと思っていた」そう

子どもが教えてくれた、地元の魅力と、ちょうどいいバランス。

そんな川村さんに転機が訪れたのは、東京暮らし6年目のこと。「結婚を前提にお付き合いをしていた人、つまり今の夫との間に子どもができたんです。夫は庄内で暮らしていたので、出産前に仕事を辞めてこちらに戻ってくることにしました」。東京で働き暮らすことを選んだのは、都会への憧れもあってのことだった。「できることなら向こうへ残りたかった」というのが当時の正直な気持ちだったという。

後ろ髪を引かれる思いで戻ってきた庄内。出産後、育児に追われながらもことあるごとに思い出すほど、東京は川村さんにとっての「あたりまえ」になっていた。「友だちも、地元よりも東京に多かったので、毎日のように東京に戻りたいと思っていましたね」。しかしその想いは、意外にもあっさりと消え去ることになる。「暮らしの中心が育児になり、親として庄内という地域に接するようになったら、いろんないいところが見えてきたんです。道行く人みんなが『かわいいね』と声をかけてくれるし、安心して遊ばせておける場所も、植物や虫などに触れ季節を感じられる自然もそこら中にある。子どもと一緒に暮らすのに、こんなにいい場所はないと思えるようになりました」。

そうこうしているうちに、子育てもひと段落。再就職しようと改めて仕事というものに向き合ってみたとき、「以前のようにバリバリ働く自分はイメージできなかった」と川村さんは言う。「仕事はしたかったけど、子どもと過ごせる時間が減るのが、何より嫌だったんです。だから、今の職場と出会えたことは本当に幸運でした」。現在看護主任として勤務する遊佐病院、労働環境改善に力を入れて取り組む病院として、近年は全国的にも注目されている。「私が入職する少し前から、当院では職員をあえて多く雇用することで、柔軟に働くことができる環境を整えてきました。入職後に2人目が生まれたんですが、まだ小さいので夜勤や出張の免除、定時退勤など、希望をすべて受け入れてもらっています。ハードな仕事というイメージを持たれがちな看護師ですが、終業時刻になると『帰りなさい』と言われるくらい、当院の取り組みは徹底しているんですよ」。

緊急度の高い患者さんが少なく、東京の勤め先とは対極のような職場ではあるが、「また違った大きなやりがいがある」と川村さんは言う。「東京の病院では、時間通りにたくさんの数の患者さんの処置をすることが最重要だったんですが、今大切なのは1人の患者さんとじっくりと向き合うこと。高齢の患者さんが多く、認知症などで意思疎通が難しい方もいらっしゃるんですが、些細な表情の変化や仕草から要望を読み取り、お応えする。そうして笑顔になっていただけるのは、やっぱり嬉しいですよね」。

看護師長など病院の運営に関わる層と現場の職員、どちらにも近い位置にいる看護主任として、「病院全体のレベルアップのためにも貢献していきたい」と今後の展望を語る川村さん。この先もずっと、さまざまな変化に柔軟に対応し、公私ともにいいバランスで楽しんでいくことだろう。

 

明確に将来が描けないなら、自分の気持ちに正直に。

暮らす場所や勤め先を変えながらも、看護師として歩き続けてきた川村さん。進路を選ぶ上で、どんなことを大切にしてきたのだろう。「高校までは親に言われた通りの道を歩いて来て、進学先を決めるタイミングで、『絶対これがやりたい』ということも、仕事にしたいほど好きなこともないことに、愕然としました」。考えに考えて、なんとか見つけ出した方向性は「資格を取ることで長く働ける」「得意教科の生物との関係がある」の2つだったそうだ。「前者は、当時問題になっていた『派遣切り』の影響が大きいと思います。後者は、あまり勉強が得意ではなかったんですが、生物は楽しく学べていたので、関係のある仕事に就きたいと考えたんです。やりたいことが明確でないことに不安を感じたこともありましたが、これまでのキャリアにはまったく後悔していません。自信を持ってこう言えるのは、ぼんやりとでも方向性を定めて前進し続け、その一方でやりたくないことを正直に避けてきたからだと思います」。

自分らしく生きていくために、用意された道はない。歩き出す前に行き先を明確にイメージすることも大切なのかもしれないが、もしかすると本当に必要なのは、その時々の気持ちに正直に歩を進めることなのかもしれない。

 

休日の過ごし方は?

家族と公園へ

最近は上の子が自転車にはまっていて、グルグル走り回っているのを眺めては、のんびり過ごしています。