特集|イナカのイナカに暮らす理由|遊佐町
山形県の北端、鳥海山に抱かれた湧水の里・遊佐町。
この、人口13,000人ほどの小さな町で展開されている
IJUターン※支援の取り組みが、
近ごろ注目を集めているという。
それぞれの立ち位置で活動に携わる
4名の女性に話を聞いた。
※IJUターン:
出身地から離れた地域に移住する(Iターン)、出身地を1度離れた人が出身地の近くの地域へ(Jターン)、もしくは出身地へ(Uターン)戻って暮らすなど、移住のさまざまなスタイルを指す言葉。それぞれのアルファベットは、移動の軌跡を表している。
遊佐町でIJUターン支援に関わるみなさん
(写真前から)
友野 友(ともの・とも)さん
遊佐町 企画課 定住促進係/遊佐町出身 30代
高校卒業後、関東の大学へ進学。卒業のタイミングでUターンし遊佐町職員に。プライベートでは2児の母として子育て中。
後藤 真樹(ごとう・まき)さん
NPO法人いなか暮らし遊佐応援団/遊佐町出身 30代
高校卒業後、静岡の大学へ進学。在学中から海外でも活動し、Uターン後は国際交流にも取り組む。
小田原 美波(おだわら・みなみ)さん
NPO法人いなか暮らし遊佐応援団/遊佐町出身 20代
高校卒業後、関東の大学へ進学。山形市の住宅会社に4年間勤めた後、Uターンし現職。
高橋 可奈絵(たかはし・かなえ)さん
清水森食堂/中山町出身 30代
高校卒業後、秋田の美術系短大で絵を学ぶ。その後、創作活動とバイトで生計を立てる日々を送る中、「人生変えたい」と思い立ち遊佐に移住を決める。5ヶ月間かけ通いで空き家のリノベーションを進め移住。
抜群のチームワークで、移住定住をしっかりサポート。
− はじめに、取り組みにおけるみなさんの役割を教えてください。
友 私は役場職員として、移住定住支援事業の窓口と取りまとめ役を担っています。移住希望者から連絡があったときに、要望に合わせて役場内外の関係者にコンタクトを取り、ともに支援を進めるような役割です。
真樹 美波さんと私が所属するいなか暮らし遊佐応援団は、移住希望者向けの体験プログラムや移住者同士の交流会、外国出身者向けの日本語講座などの企画運営、空き家管理サービスなどに関わっています。友さんの部署へ、遊佐の暮らしを体験してみたいという連絡が来た場合には、私たちが引き継いで体験プログラムを案内するという感じで連携を取っています。
可奈絵 私が活動に本格的に参加していたのは、実は2019年度までで。地域おこし協力隊として、空き家利活用のミッションに取り組んでいました。今は、その中でリノベーションした物件の1つ「清水森食堂」を母と一緒に営んでいます。
友 この3者に、移住者と移住先集落とのつなぎ役となる集落支援員をプラスした4者で、移住定住に関するさまざまな事業を行っています。このように、いろんな人が関わって移住定住関連のプロジェクトを進めている自治体は、多くはないと思います。
− 代表的なプロジェクトには、どんなものがありますか?
友 可奈絵さんに中心になって進めてもらった、「空き家再生地域おこし事業」ですね。大まかに言うと、空き家を町で借り上げて必要最低限のリフォームをし、店主を移住希望者もしくは移住間もない方から募り、町民ニーズに合わせた業態の店舗として再生していくというものです。これまでに、古民家カフェ「わだや」、パン屋「小むぎ」、そして可奈絵さんが店主を務める「清水森食堂」の3店舗を手がけてきました。
美波 店舗となる空き家の選定・契約、水まわりなど専門的な工事、一定期間の家賃補助など、行政のサポートがかなり手厚いのは大きな特徴ですね。
真樹 店主を募集する前に業態を決定することで、行政や町民のニーズと店主希望者のやりたいこととのズレが生まれないようにしている点も、うまくできていると思う。
可奈絵 地元の職人さんに教えていただきながら、町民の方々も交えてDIYでリノベーションできた点もよかったですよね。新しいお店って地域に馴染むのに時間がかかることが多いけど、3店舗ともすっと町の暮らしに溶け込むことができたので。
− どんな点が大変でしたか?
可奈絵 一番は、町民の方々の声を集めることですかね。街頭アンケートなどでご協力いただいたんですが、なかなか数が集まらなくて。
美波 本当に頑張っていたよね。
可奈絵 でも、町のことを思って一生懸命書いてくれる人もたくさんいて、やっぱり遊佐のこと好きなんだなって嬉しくなりましたね。いろんな方のご協力のおかげで無事予定通り3店舗オープンすることができ、自分も店主としてお店をやることができています。本当に感謝感謝ですね。
真のハッピーな暮らしは、すべてを伝え合うことから。
− 移住定住支援のおもしろさややりがいは、どんなところですか?
真樹 遊佐町のことを気に入って移住を決断していただけたときは嬉しいし、達成感がありますね。
美波 あとは、そういう人たちから「遊佐のここがいいよね」って言われて、自分が見えていなかった魅力に気づかせてもらえるのがおもしろい。田んぼだけで地平線になっているとか、海から鳥海山の山頂までたったの16kmとか、視点がおもしろいんですよね。
友 私、実はすごい人見知りで、この仕事を任されたときも不安だったんですが、遊佐のことだと初対面の人とも普通に話せちゃうことに気がついて。「遊佐のことが好きだから自然に話ができるんだ」「こんなに遊佐のこと好きだったんだ」って思って嬉しくなりました。
真樹 やっぱり、外からの視点って大切だよね。私も進学で県外に住むまでは地元のこと、嫌いではなかったけど、特別好きというわけでもなかったし。学生時代に実家から送ってもらった米を友だちに食べさせたら「おいしー!」って言っていて、「え? そうなの?」っていう感じだったから。
美波 SNSでも、夕日とか鳥海山とか上げると県外からの反応がすごいですよね。
− 4人中唯一の町外出身者である可奈絵さんは、遊佐のどんなところが好きですか?
可奈絵 遊佐町は本当に輝いて見えますよ。いいもの、いいところが本当にたくさんある。
美波 一番をあげるとしたら?
可奈絵 強いて言うなら水ですね。本当においしい。これまで飲んできた水とは全然味が違うんですよ。
美波 同じ県内でも気候も風景も全然違うことも、外から見たからこそ気づけたことだよね。
− この仕事の難しさ、大変さというのはどんな部分でしょう?
友 移住希望者の方とのコミュニケーションですかね。私たちの言動を材料に、彼らの中で遊佐町像が形づくられていくわけなので、客観的に見ていい面も悪い面もすべてお伝えするように心がけています。
美波 一口に移住と言っても、みなさん求めていることがバラバラで、何を求めているかをうまく引き出すことが難しいんです。
真樹 きちんとキャッチボールができないまま勢いで移住して来てしまうと、住んでみてから「なんか違った」となることもあると思うんです。勢いに乗ってしまうと、こちらがブレーキをかけるのは相当難しいので、そうならないようなコミュケーションを心がけています。
可奈絵 コロナウイルスで対面でのコミュニケーションが難しくなり、大変ですよね?
友 遊佐町を一度体験していただいてから移住を検討してもらいたいので、それができないのはやっぱり大変です。ただ、コロナウイルスが暮らしを根本から見つめ直す契機になったのか、問い合わせは増えてきていて。プラスに捉えて、新たな対応の仕方をみんなで考えているところです。
これからをみんなが語りたくなる遊佐町に。
− これから、遊佐町をどんなまちにしていきたいですか?
美波 もっとUターンしやすいまちになるといいなと思いますね。
可奈絵 何がハードルになっていると思います?
美波 私は町内の実家に帰ることができ、仕事も運よく見つかったのでよかったけど、住む場所と仕事は大きい気がする。あと、大人たちが「ここには何もないから、外に出たほうがいい」みたいなことを言いがちで、その影響もあると思うなあ。
真樹 あるよね。でも、それってただ町民自身が町を知らないだけなんだと思う。移住に限らず、町の新しい動きをしっかりと町民に伝えていくことで、「何もない」は減らせるんじゃないかな。
可奈絵 私が食堂で、おもしろい人をゲストにしてイベントを開いているのも、そういう思いからなんですよね。いろんな人がつながって、遊佐町がもっとおもしろくなるようなアイデアが生まれるといいなと思っています。
友 複数の部署が集まって定期的に情報交換をしたり、移住定住支援を役場全体で進めていこうとしていますし、町民の中にも関心を持ってくださる方が増えてきているように感じます。これからも町のために、行政だけでなくNPOや地域の方々と連携して、できることから進めていきたいと思っています。