Mar 27, 2018

SHONAI STYLE|ママ対談

mamataidan_kiji_top

(左:菅原さん 右:瀬尾さん)

 

ようやく出会えた、やりたいことに本気になれる自分。

歯科医師/パーソナルセラピスト

瀬尾 有可(せお ゆか)さん

 

 

▼高校卒業後の歩み

《1年目〜》

歯学部に進学。学生として6年間、横浜で過ごす。

《7年目〜》

新潟・秋田の大学病院などで、歯科麻酔、口腔外科、一般診療を学びながら歯科医師として勤務。そのかたわら、メイクやエステの社会人スクールで手技を習得。

《12年目〜》

出産。育児をしながら、時間を見つけて首都圏に出かけセラピーやコーチングなどを学ぶ。。

《14年目〜》

パーソナルセラピストとして活動を開始し、約1年後の2017年6月に、酒田市にサロン「森のしずく」をオープン。健康・美容サービスと、カウンセリングやコーチングなどのコンサルタントサービスの両輪で、女性が輝くことをサポートしている。また、出張で高齢者の歯のケアも行っている。

 

 

 

背中を押してくれたのは、故郷に見つけた「広い世界」。

 

通訳案内士/アーティスト

菅原 明香(すがわら さやか)さん

 

▼高校卒業後の歩み

 

《1年目〜》

上京しアメリカの大学の日本校で1年間英語を学んだ後、渡米。ジャーナリズムを学ぶ。

《6年目〜》

再度渡米し、芸術学部でグラフィックデザインなどを学ぶ。

《9年目〜》

帰国後、デザインや英語を軸にさまざまな仕事を経験。結婚し、1年間の横浜暮らしなども経て帰郷。出産を機に一時的に仕事から離れる。

《16年目〜》

複数の仕事を少しずつ行うスタイルで、フリーランスとして仕事を再開。1児の母として家事や育児をこなしながら、英語の通訳や指導、「あかるさかおる」の名でイラスト制作、ホスピタルアート(オリジナルの大人用ぬり絵を入院している方に提供)、グラフィックデザインなどさまざまな活動を展開する。

 


 

正直に、柔軟に、進む道を選択する。

 

〈菅原〉 今のお仕事はじめられて、結構長いんですか?

〈瀬尾〉 いえ、実はまだ駆け出しで。独立から1年くらいで、サロンをオープンしたのはこの夏頃なんです。それまでは、歯科医師として働いていました。

〈菅原〉 美容やカウンセリングには前から興味があったんですか?

〈瀬尾〉 美容分野には、昔から興味がありましたね。でも、高校で進路を選ぶときに「私が選ぶことは、失敗するに決まっている」と、自分の判断に自信が持てなくて。親の意見を参考にして、歯学部に進むことにしたんです。

〈菅原〉 そっか、親の言うことも聞かずに海外に飛び出してしまった私とは正反対ですね。

〈瀬尾〉 菅原さんは、今も英語を仕事の軸にされていますが、アメリカの大学に進んだ動機は英語を勉強したいということだったんですか?

〈菅原〉 ジャーナリストになりたいと思ったことがもともとの動機だったんですが、学んでいくうちに自分には難しい仕事だと気がつきました。在学中に9.11のテロが起きて、授業の中で記事を読んでディスカッションをする機会があったんですが、それがとても辛くって。ぐっと感情移入してしまうタイプなので、強い情報に触れると気持ちがやられてしまうことが、そのとき初めてわかったんです。短大卒業相当の単位を取得した時点で1度帰国したんですが、どうしても4年制の大学を出たくて2年後に再度渡米しました。

〈瀬尾〉 そのときは、どんなことを学んだんですか?

〈菅原〉 芸術学部のグラフィックデザイン学科に入ってデザインを学びました。アメリカは単位の互換制度が充実しているので、2年生からスタートして3年間で無事卒業することができました。

〈瀬尾〉 なるほど。英語とアートやデザインを軸にいろいろな仕事をされてきたのは、そういうキャリアがあったからなんですね。

 

 

自分に合った働き方で、仕事も暮らしも楽しく。

 

〈瀬尾〉 菅原さんは何がきっかけでフリーランスになったんですか?

〈菅原〉 そもそものきっかけは出産による退職でした。その頃は公立の幼稚園や学校で英語を教える仕事をしていたんですが、育児休暇が取れなかったんですね。子どもたちに英語を教えるのが好きだったのですごく悩んだんですけど、子育てもしっかりやりたいと思っていたので、仕事の方を諦めました。

〈瀬尾〉 その辺のバランスは難しいですよね。産休・育休の制度自体がなかったり、あっても取得する文化が確立していなかったりということは、珍しいことではないですもんね。

〈菅原〉 そうなんですよね。で、復職の仕方を模索していたときに出会ったのが、鶴岡ナリワイプロジェクト(*1) なんです。いろんな仕事をしている人たちと半年間一緒に学んだり考えたりする中で、プロジェクトが提唱している「いろんな仕事を少しずつやる」という働き方が自分にすごく合っているなと思って。フリーランスでやってみることに決めました。

〈瀬尾〉 それで、いくつもお仕事をやられているんですね。異業種の人との出会いに後押しされたという点では、私も同じです。私の場合は、アンダーバー(*2) での出会いが原動力になっています。

〈菅原〉 自分と違う世界で生きている人と交流することで、それぞれがそのままでよくて、私は私でいいんだと気づくことができました。

〈瀬尾〉 やりたいことを仕事にしている同士だから、新しいアイデアに対して寛容ですよね。「おもしろそうじゃん。何か手伝えることない?」みたいな感じで、すごく応援もしてくれるし。

〈菅原〉 同じ境遇の仲間ができるっていうのは大きいですよね。あとは、自由度の高さですかね。人や時間、仕事内容など、いろんなことがある程度自由に選べることがフリーランスの大きなメリットだなと感じています。

〈瀬尾〉 私もそう思います。そして、仕事って本来そうあるべきだと感じています。逆にデメリットというか、大変だと感じていることってありますか?

〈菅原〉 経理とかの事務作業ですかね。明細書とか見るのすごく苦手で。

〈瀬尾〉 わかります!初めてのことだからやっぱりその辺は大変ですよね。でも、組織にいたときには見えていなかったそういう部分も自分でやらないといけない、フリーランスという立場だからこそ感じられることもありますよね。所属していた組織への感謝とか。

〈菅原〉 確かにそうですね。あ、もしかして、あんまり大変な思いしてないですか?

〈瀬尾〉 いやいや、してますよ。でも「自分で全部やらなきゃ」と思っているわけではなくて。「わからない」「できない」「教えてほしい」ときちんと伝え、頼れる部分は周りに頼るようにしてます。全部自分でやろうとし過ぎて大変な思いをしたからこそ、身についた姿勢ですね。

 

mamataidan_kiji_grally_03

 

はみ出すことを恐れず、自分を大切に。

 

〈瀬尾〉 菅原さんは、どんな高校生でした?

〈菅原〉 今思うと、すごく狭い世界に生きていたなと思います。ネットもそこまで発達していなかったから、情報と言えば雑誌かテレビだったし。

〈瀬尾〉 確かに、今ほど情報にあふれている感じはなかったですよね。

〈菅原〉 でも、学校で働いていて今の子どもたちのことも見てきたけど、これだけいろんな情報に触れられるようになっても、10代特有の「みんなと一緒じゃなきゃいけない」みたいな気持ちって変わらないんですよね。

〈瀬尾〉 みんな違うから、おもしろいんだと思いますけどね。

〈菅原〉 日本の学校生活では、同じであることを求められる場面が多いですからね。集団生活をする上では仕方がない部分もあるのかもしれないけど、私はもっと自由でもいいと思うんです。

〈瀬尾〉 本当ですね。決められたことから外れるとだいたい叱られますもんね。

〈菅原〉 同じであることを求められるって、裏を返せば一人ひとりが選択して実行する機会がないっていうことで。それなのに、進路選びは必ずやってくるわけです。選択の経験がないのに進路を考えるっていうのは、かなり難しいことだと思うんですよ。

〈瀬尾〉 自分で選んできた経験がなければ、「やりたい」と思うことがあったとしても反対を押し切ってまで貫き通すことはできないでしょうね。それどころか、親や先生に相談することすら難しいのかもしれませんね。

〈菅原〉 親や先生に叱られてもいい、とは言わないけど、人生1回きりの10代なので楽しんで過ごしてほしいんですよね。

〈瀬尾〉 本当にそう思います。一人ひとり違うことがあたりまえなので、周りの目を気にしないで自分はどんな人間なのか、何がやりたいのかをじっくり考えて進路を選んでほしいですね。

 

 

(*1) 鶴岡ナリワイプロジェクト:グループワークなどの実践を通じて「好きなこと×地域にいいこと」でナリワイ(= 月3万円の売り上げを目標にしたスモールビジネス)を生み出し合い、地方都市でのこれからの働き方・暮らし方を全国に発信するプロジェクト。2015年からの3年間で、約40人のナリワイ起業家が誕生している。菅原さんは、卒業生でつくるナリワイALLIANCEの代表として、現在も引き続きプロジェクトに関わっている。

 

(*2) アンダーバー:東北公益文科大学内にあるコワーキングスペース。フリーランサーの仕事場としてはもちろん、自主プロジクトや学習の場として会社員や学生など多くの人に活用されている。勉強会などイベントも定期的に開催され、多様な知識や価値観が交流する場となっている。