Jan 8, 2016

この海を守り、未来へ繋ぐ漁師に

鈴木剛太_1-01

“好き”を仕事に

 マグロを目の前にし、触れてはしゃぐ子ども達。目の前でさばかれる様子にドキドキしながら歓声をあげ、こんなにも大きな魚がこの海にいたのかと、想像をめぐらします。

地域の幼稚園に地元産のマグロを寄付し、解体演出をしたのは、鶴岡市で漁業を営む鈴木剛太さん。「子ども達にもっとこの海を知って、興味を持ってほしかったから」。本来であれば海との付き合い方を学び、子ども達を育む場である海も、最近は関心を持たない子どもも増えているようです。

剛太さんは、漁で捕れた珍しい魚や、大きなヤドカリを水槽に入れ、幼稚園の子ども達に見せたいと提供しています。「子ども達のわくわくするような眼差しを見ていると嬉しくなりますね。これから10年、20年後・・・自分でこの海で魚を捕りたい、漁師になりたい、そんな風に思ってもらえたら良いですね」。

旧温海町で生まれ育った剛太さん。子どもの頃から目の前にはいつも海があり、友人がゲームに熱中していた時も、とにかく釣りが大好きで、いつも釣竿をかついで海へ出かけていました。そして魚を釣り上げる楽しさは自然と漁師になりたいという夢へと変化。

高校を卒業し地元の底引き網漁船の乗組員として勤務したあと、船を持ち起業したいという目標を掲げ、静岡県の釣り漁業の修行へ。資金を蓄え、念願の船を購入し、延縄漁業の漁師となりました。「生まれ育ったこの地域、この海が好きだったので、この場所で漁師になりたかったんです」。

起業当初は、魚がほとんど捕れず苦労したことも。経験が少なく技術も足りない、潮の流れや魚のいる場所の読みも甘い。苦悩の末、人は10年かけてそれらを学び一人前になるならば、自分は2年で覚えようと決意。それから正に2年で収量を得られるようになったのです。

「これは目標があったからできたことで、そこに向かって本当に頑張った結果です」。26歳の時には延縄漁業で水揚げ上位に。それから2年、とうとう1位になり山形県漁業協同組合で表彰されました。「やればやるほど負けたくない想いが強くなるんです。辛かった時期はもちろんあったんですが、好きな仕事なんで苦になりませんね」。

地域が一丸となって、更なる発信を

_MG_0860 近年漁師のあり方も若手を中心として変わってきていると、剛太さんは言います。「これまでは捕獲したら捕獲しただけ出荷をしていました。これからは農家と一緒。「魚をつくる」ことの必要性を重視しているんです」。

「魚をつくる」とは、稚魚を放流し育てることに加え、船の上で血抜きをし鮮度や見た目を維持したり、生きたまま捕まえたフグを水槽に放ちお腹の中の餌を全て吐き出させてから出荷するなど、ひと手間を加えるというもの。「魚の味も、値段もぐっと良くなります。そうすることで、漁師の収入も上がり、魚を乱獲することもなくなり、海の生き物も守られるんです」。

剛太さんも参加する「庄内おばこサワラブランド推進協議会」(鈴木重作会長)では「神経抜き」という独特の技法を用い、傷みやすいサワラを通常のものより1週間から10日も高い鮮度を維持しています。日が経つにつれて身は熟成され旨みも増すということから、東京の築地市場では日本一のサワラであると高評価を受け、全国から注目を浴びるブランドになりました。剛太さんを含めて専門の研修を受けた17名の漁師が力を合わせ漁獲、PRに力を入れています。

「漁師は魚を捕るだけでなく、魚に付加価値を付け、発信していかなければいけない時代なんです。地元には良い物がたくさんありますよ。その魅力を伝えていけるのはやっぱり行動力や発想力のある若者の役目だと私は思います」。剛太さんは好きな仕事を楽しむだけではなく、漁師という職業と海そのものをこれからの世代に引き継ぐために、使命をもって活動を続けています。

現在剛太さんが水揚げした魚は漁業協同組合のほか、東京の築地市場へ直接出荷されています。また、庄内おばこサワラは鶴岡市の加茂水族館でも定食となり、その美味しさは多くの観光客に感動を与えています。「自分の興味がある事を仕事に選んだら、人より発想を持って仕事ができると思うんです。庄内でもいろんな仕事が展開できるはずですよ」。

スケジュール

海に出るのは年間約160日。その他は道具の修理や整備を行います。
漁の時間は魚や季節、天気によって異なり、
○サワラ(秋・冬)なら、朝4時から夕方4時
○タイ(春・夏)なら、夕方4時から朝8時
休みは市場の休みにそって、第二火曜日と毎週土曜

他、海の天気によって漁に出られない日も。

オー、マイショウナイ!

自分の子ども達

一生懸命になれるのは、子ども達がいるからこそ。お休みの日には一緒に釣りを楽しんでいます。

プロフィール

◆鈴木剛太 (Kouta Suzuki)
漁師。1984年生まれ、鶴岡市出身。羽黒高等学校卒業後、鼠ヶ関漁港の底引き網漁船乗組員となる。20歳の時静岡県で釣り漁業を学び、21歳でUターン。起業し、鶴岡市で漁師となる。