Mar 3, 2021

妥協なき選択と集中で、 毎日を全力で楽しむ。

株式会社荘内日報社

阿部 奈津美(あべ・なつみ)さん

鶴岡市旧羽黒町出身・在住 20代

▼高校卒業後の歩み

・1年目〜
テレビの世界に進むため、メディア学部のある東京の大学に進学。

・5年目〜
テレビ番組制作会社へ就職。出向先のNHKで、ADとして働き始める。

・8年目〜
鶴岡にUターン。荘内日報社の記者として、庄内一円を駆け回る毎日を送る。

 マスコミ一筋。阿部奈津美さんのこれまでの歩みを語るには、こんな言葉がぴったり来る。

 「気づいたときには、テレビ画面の向こうの世界に行くもんだと思っていました」。マスコミを目指したきっかけを聞くと、そんな言葉が返ってきた。小学校では水泳に、中学校ではソフトボールに打ち込むスポーツ少女だったが、高校では運動部を選択しなかった。「将来の準備と運動部の活動の両立は難しいと考え、前者に専念することにしたんです。時間が許す限り、写真撮影の練習や、構成を意識しながらテレビやラジオを視聴し台本を書く練習をしていましたね」。3年間コツコツと準備を重ね、阿部さんは見事東京にある私立大学のメディア学部への切符を勝ち取った。

 大学では、カメラマンや記者、映画監督など経験豊富な教員陣のもと、志を同じくする仲間たちとともに、マスコミの仕事に就くための基礎を徹底的に叩き込まれた。刺激的で充実した4年間を過ごし、ますますマスコミへの思いを強くした阿部さんは、東京のテレビ番組制作会社に入社、念願の道をアシスタントディレクターとして歩き始めることになる。

憧れの世界に、本気で挑み続けた日々。

 一般的にテレビの世界では、1本の番組制作に何百人ものスタッフが関わるが、テレビ局の社員はごくわずか。大半は外部の制作会社から出向という形で携わる。阿部さんの出向先はNHK、最初に担当したのはMLBなどスポーツ番組の制作だった。「実況や解説など映像に入っている音声の書き起こしや、テロップのデータ作成、弁当の注文、ロケバスの手配、取材相手との日程調整などがADとして最初に担当する業務になります」。追われるような忙しさの毎日ではあったが、教育番組やお昼のバラエティなどフィールドを変えながら、街頭でのインタビュー撮影やコーナー企画、ゲストの選定など、番組制作の核となる業務も任されるようになっていった。

 そんな阿部さんの気持ちに大きな変化が起きたのは入社から4年が経とうとしていた頃、折しも番組づくりの責任者であるディレクター職を意識し始めなければならないタイミングであった。「祖母が亡くなったことをきっかけに、日々の仕事で溜まっていた疲れやストレス、ディレクターとしてやっていけるかという不安、いろんなものがどっと押し寄せてきて気持ちが切れてしまって。約4年間がむしゃらに取り組んで、テレビの世界で自分がやりたいことは十分にやれたと感じていたし、祖母の葬儀で親族や地域の人たちと一緒に過ごしてから、地元で暮らしたい気持ちが強くなっていきUターンすることに決めたんです」。

仲間たちとともに、故郷の魅力に光を。

 新聞記者になり2年目。庄内一円を駆け回り、話を聞き、写真を撮り、記事をつくる毎日はテレビの世界同様とても忙しいという。特に、事故や火事など突発的な出来事には昼夜問わず対応する必要があり、深夜帯の取材も少なくない。単独行動が基本の新聞記者、そんな大変な状況でも頼れる人がいないと思うかもしれないが、実はそうではない。「事故や火事などの情報は、報道各社の集まりである記者クラブの中で共有することになっていて。ほぼ毎日連絡を取り合っているので、他社の記者さんとは自然と仲よくなるんです。それ以外の取材でも、1人で行くのが不安な山奥に何人かで同乗して行ったり、庄内のことをともに発信する仲間という感じで。『絶対に他局には負けられない』と考えていた前職時代とは真逆のこの関係性が、結構好きなんですよね」。そんな「仲間」たちの大半は、転勤でやってきた県外出身者。彼らとの関わり合いはまた、成長につながる刺激に溢れたものでもあるという。「庄内で生まれ育った自分にとってあたりまえのことが、彼らの目には魅力的に映ったり、同じものを取材しても切り取り方が全然違うんですよね。彼らの視点に触れることで、庄内の新たな魅力を発見しながら、物事を多角的に捉える力を磨くことができています」。

どんな未来への道も、足下から延びている。

 会社という枠を越え、互いに高め合いながら庄内の出来事を発信する。地方紙の記者という2つ目の職業にも、大きなやりがいを感じている阿部さんだが、高校時代はまったくと言っていいほど地元が好きではなかったそうだ。だからこそ「高校生にも、もっと地元のことを知ってほしい」と考えている。「この仕事に就き、高校生のときに抱いていた『好きじゃない』は、『知らない』だったことに気がつきました。本当に自分は、庄内のよさに一切気がつかないまま上京してしまったんだなって。ただ、今自分が庄内の魅力をより鮮明に感じられているのは、一度離れて暮らしたからだし、進学や就職ということで言えば、庄内では実現が難しいことがあるのも事実です。だから私は、庄内を出ること自体は否定しません。ただ、決断する前に自分は何がしたいのかを明確にし、実現のためにベストな場所はどこなのかをよく考えてほしいんです。場合によっては、それが庄内かもしれないですから。いいところもイマイチなところもひっくるめて、地元のさまざまな面を知っておくことは、進路選択にもプラスに働く気がするんですよね」。

 生まれ育った地域は自分の日常そのもの。客観的に捉えるには少し工夫が必要だ。新聞を開けば、まだ見たことのない庄内もきっとたくさん見えてくる。もしかすると、将来をより明確に描くためのヒントも見つけられるかもしれない。

株式会社荘内日報社