Sep 26, 2019

道を示し拓いたのは、10代からの好奇心。

株式会社アピリオ 

佐藤 由久(さとう・よしひさ)さん

鶴岡市出身/鶴岡市在住  30代

 

▼高校卒業後の歩み

・1年目〜

情報工学を学ぶため、進学で盛岡市へ。

・5年目〜

大学院進学で、仙台市へ。IoTのベースである「ユビキタスコンピューティング」の研究に取り組む。

・7年目〜

就職を機に上京。主に、企業内で利用されるシステムの開発に携わる。

・13年目〜

株式会社アピリオに転職。少しずつUターンについて考え始める。

・15年目〜

鶴岡にUターン。リモートワークで働きながら、プライベートでは2児の子育てを満喫中。

 

都心と郊外の2拠点生活や出勤困難時の在宅ワークなど、情報通信技術の発達にともない、物理的な距離を越えさまざまな働き方をする人が増えてきている。株式会社アピリオのコンサルタント佐藤由久さんも、そんな現代的な働き方を選択した1人。会社のある東京から離れ、支社も営業所もない地元鶴岡で正社員として働き暮らしている。

高校卒業後、盛岡市で4年、仙台市で2年、計6年の学生生活を経て、就職を機に東京へ出た由久さん。システムエンジニアとして勤務し6年目を迎えた頃、「もっと新しい技術を身につけたい」とアピリオへの転職を決めた。Uターンを本格的に考え始めたのは、その翌年のこと。「理由を聞かれても、庄内が好きだから、としか言えない」そうだが、進学で県外に出るときから、いつかは戻りたいと考えていたという。離れて暮らして14年、まずは鶴岡がどう変わったかを知りたいと考えた由久さんは、鶴岡市の移住交流プログラム「マイプロ部」に参加してみることにした。「私のように移住検討中の人や、鶴岡に関心のある人が集まり、地域の方々と関わり合いながら何日かかけてプロジェクトを行うんですが、集まっているメンバーが結構おもしろくて。高校生の頃にはなかったIT企業ができたことも知り、庄内でもやっていけるかも、と思ったんです」。その時点ではまだ、由久さんの頭には「リモートワーク」という考えはまったくなかったそうだ。きっかけは、SNSでの動きからUターンへの想いに気がついた、上司の一言だった。「『地元に帰ろうと思ってる?』って聞かれたので、正直に想いを打ち明けました。そうしたら、会社に所属したまま鶴岡でリモートワークで働けないかかけ合ってくださることになったんです」。その後、課題になりそうな点を解消するため、1週間のお試しリモートワークを2度実施。会社も納得の上で鶴岡でリモートワークを開始したのは、2017年10月のことだ。

 

双方の努力で会社初のリモートワーカーに。

勤め先であるアピリオは、2006年に米国・カリフォルニアのシリコンバレーで創業したコンサルティングファームの日本法人。北米、南米、欧州、インド、アジアなど世界50ヶ所を超えるにも拠点を持ち、遠隔地同士でのビデオ会議なども日常的に行われている。日本法人では、週に何日か東京近郊の自宅で仕事をする社員はいるものの、離れた土地で“フルリモート”で働くのは由久さんだけ。お試し期間では気づくことができなかった課題も、やはりあったという。「チャットなどで密にコミュニケーションをとっておけば、仕事に関する情報共有はそこまで難しくないんですが、社内の雰囲気が感じられなくなったことが当初は結構大変で。同じオフィスにいれば聞こえてくる、他のプロジェクトの状況やプライベートのことって、仕事に直接関係なくても相手にとっては大きなことだったりして、コミュニケーションをとる上ではとても重要なんです。ビデオ会議のときに話者の表情を映してもらったり、質問を復唱してもらったりすることで、この課題はほぼ解消できているんですけど。自分で工夫をすることはもちろんですが、やはり会社の協力があってのリモートワークなんですよね」。

 

想いを形にするには、まず声に出すこと。

庄内に限らず、仕事を理由にUターンに踏み切れない人は非常に多いという。その壁を越える方法の1つは、由久さんのように、どこに暮らしていても通用するスキルを身につけることだろう。子どもの頃に芽生えたコンピュータへの興味を持ち続け、進学や就職などの機会にも指針としてきた由久さん。きっかけをつくってくれたのは、お父さんのある選択だった。「小学4年生ではじめてパソコンを買ったんですが、今ほど普及していなかったので買うこと自体が結構な大ごとで。周りの親からも『うちでも欲しがったらどうするんだ』とか言われたらしいんですが、父は気にもとめず金銭面も含めサポートしてくれたんです。買ってからも、時間を忘れて画面に向かうことを許してくれて、父には本当に感謝しています。好きなことを見つけて突き進んだ先に、進学や就職があるのは理想ですが、やっぱり周りのサポートがないと難しい部分もあるんですよね。だから、『これが好きだ』って言い続けることって大事で。もし今好きなことがあるなら、発信してまずは身近な人に知ってもらうこと。いろんな人に助けてもらいながらチャレンジを続け、ぜひ形にしてもらいたいですね」。

地元のために何かしたいと考えている庄内出身者、加茂水族館などがきっかけで鶴岡のファンになった人。東京に暮らしているとき、鶴岡・庄内を接点にさまざまな人と出会った由久さんは、「将来的には、地元を盛り上げるような仕組みを、ITの力で実現したい」と考えている。子どもの頃から磨き続け、自らを故郷へと導いた力が、多くの交流を生み出し、庄内をもっとおもしろい地域にする日も、そう遠くはないはずだ。

 

庄内の魅力って?

多種多様なイベント

地域の特色を活かしたマルシェやワークショップ、趣味や仕事につながるセミナーなど、視野を広げられるものが多く、素敵だなと思っています。