Nov 28, 2018

庄内をかき混ぜ、誇りを持てる新たな文化を。

CHEMO 代表
加藤 夕佳(かとう ゆか)さん

酒田市出身/酒田市在住 30代

 

▼高校卒業後の歩み

・1年目 映画を学ぶためにアメリカの大学へ進学。その後、社会学専攻へと転向し、別の大学へと編入。

・4年目 ルネサンス芸術を学びたい一心で、フィレンツェに半年間留学。

・5年目 大学を卒業し帰国。神奈川で大学の事務職として働き始める。

・11年目 酒田市にUターン。ラジオパーソナリティーと英会話講師を軸に、地域を盛り上げるためさまざまな活動を展開する。

ラジオパーソナリティー、英会話講師、Tシャツデザイナー、イベントオーガナイザー。2016年5月に地元酒田市にUターンして以来、自らの「好き」と「得意」をフルに発揮しさまざまな肩書きを行き来しながら暮らす「CHEMO(ケモ)」の加藤夕佳さん。高校生の頃から、独学でwebサイトをつくったり、写真を撮ったり「興味があることはとりあえずやってみる」を大切にしてきた。アメリカの大学に渡ったのも、そんな気持ちからだったという。

「アメリカで映画の勉強がしたいなと思って、向こうの大学を受験するために英語を真剣に勉強し始めたのが高校3年生になってからのことです。無事合格してアメリカに行ったんですが、映画のクラスの内容や環境が自分がイメージしていたものとは違っていて。しばらくして、そのとき関心が向いていた社会学に専攻を変えました。また、大学が都市部にあったことで田舎が恋しくなってしまい、1年ほど在籍した後に郊外の大学に編入したんです」。

日本の大学に比べて、単位を維持しながら専攻を変えたり、大学を変えたりということが容易なアメリカの大学は、たくさんの「好き」を持っている加藤さんには絶好の環境だった。「地の利」を得て、加藤さんはさらに異分野へと手を伸ばしていく。

「社会学を専攻しながら美術史も学んでいたんですが、ルネサンス芸術にどっぷりハマってしまって。どうしても本場で勉強したくて、半年間フィレンツェに留学したんです。クラスの中で何人かだけ選ばれて展示してもらったり、貴重で濃厚な経験をさせてもらいました」と照れくさそうに振り返る。その後1年ほどアメリカの大学で過ごし卒業、2008年に日本に帰国する。

ふとした会話がきっかけで、Uターンを決意。

帰国後すぐには庄内に戻らず、神奈川県で大学の事務職として約7年間働いた加藤さん。最も印象に残っている仕事は、東日本大震災時の対応だという。岩手県の沿岸部にもキャンパスがあり、神奈川県にいながら安否確認や罹災学生への奨学金の手配、クラスの再編などに奔走した。3年ほどかけてようやくその仕事が落ち着いた頃、ある出来事がきっかけで加藤さんはUターンを決意することになる。

「帰省して同級生に会ったりする中で、子どもたちが庄内弁を喋っていないことに気がついて。庄内ってこのまま『らしさ』がなくなって衰退していってしまうのかなと思って、それは寂しいなと。震災後の立て直しもひと段落して、仕事の方は私が抜けても大丈夫そうだったので帰ってくることにしたんです。で、庄内の仕事を探そうと思ってハローワークに行ったら、以前からやりたいと考えていたラジオパーソナリティーの求人があったので、すぐに帰ってくることに決めました」。

新たな文化の「種」になる、交流が生まれる場所を。

地方創生という言葉が声高に叫ばれる昨今、地域を盛り上げるアプローチとして加藤さんが選んだのは新しい文化をつくること。土地の人に愛される文化が、将来的に「らしさ」になっていくのではないかと考え、その「種」を探すため、ラジオパーソナリティーと並行して「場」づくりにも取り組んでいるという。

「まずはみんなが何を求めているのかを知ることだなと思い、1年ほどカフェをやりました。少しずつ自分が好きなことを発信し、それに気づいて来てくれた人と対話し、どんなことを必要としているのかを知る。英会話教室もそんなやりとりから始まりました」。

生徒さんは30代〜60代で、多くの方が中学校や高校の英語でつまずいた経験をお持ちだという。気軽に楽しく英語を学んでもらいたいと考え、加藤さんは自分自身も好きな「映画」を使って英会話を教えているそうだ。

「たまに外国人の友だちにも参加してもらったりしているんですけど、みなさんが少しずつ殻を破って会話できるようになっていくのを見られるのが1番のやりがいですね」。

対話から見出した、英会話というニーズ。しかし、これはとっかかりの1つに過ぎないと加藤さんは言う。

「英会話だけでなく、マルシェや写真のイベントなどさまざまなことをやってきましたが、やっぱり集まる人がそれぞれに違うんですよね。引き続きいろんなことを仕掛けていき、『かき混ぜる』という意味の庄内弁に由来するCHEMOという屋号の通り、多種多様な人が訪れて混ざり合うような場所にしていきたい。そして、多くの人がここに住んでいることに誇りを持てるような文化をつくっていきたいですね」。

加藤さんが持つたくさんの「好き」や「得意」が、人との出会いを通じどんな「文化」へと育っていくのか。これからが楽しみでならない。