Nov 28, 2018

自然との調和を楽しみに、たくさんの人が訪れる畑に。

いきものばたけ
中村雄季(なかむら ゆうき)さん・早弥香(さやか)さん

埼玉県入間市出身・酒田市出身/遊佐町在住 30代

 

▼高校卒業後の歩み(雄季さん)

・1年目 進学のため上京。アメリカでの1年間の留学生活を経て、5年かけて政治経済学部を卒業。

・6年目 web制作会社でディレクターとして働き始める。

・10年目 ともに農業で生きていくことを決め、結婚。

▼高校卒業後の歩み(早弥香さん)

・1年目 進学のため上京。インテリアやマーケティングについて学びを深める中で、大量生産大量消費の社会に疑問を持つ。

・5年目 企業のCSRへの関心の高まりから、広告会社に就職。ディレクターとして企画提案や進行管理を担当する。

・9年目 ともに農業で生きていくことを決め、結婚。

 

▼結婚後の歩み

・3年目 早弥香さんの出身地である庄内へ移住。雄季さんは研修生として農業の現場経験を積み、早弥香さんは前職の経験を活かした仕事に従事。

・5年目 遊佐町へ拠点を移し、独立。長女誕生。

・8年目 全国を対象に定期宅配便サービスをスタート。

 

− お2人とも実家が農家ではないということですが、まずは農業に興味を持ったきっかけから教えてください。

雄季(以下、雄)もともと興味があったのは環境問題なんです。人と自然が調和した暮らしが環境問題の解決にもつながるんじゃないかと思い、その1つの形として有機農業に興味を持ったという流れですね。

− 大学卒業後、農業ではなくweb業界に進んだのはなぜなんでしょう。

 当時はweb2.0という言葉が出てきた頃で、web業界がすごくおもしろくなっていきそうだと思ったことが1つ。あとは、学生時代に国際環境NGOでインターンをしていて、webサイトの管理もやらせてもらっていたんですが、情報発信って大切だなと思って。将来的に環境分野のことか農業を仕事にしたいと思っていたので、そのときにも役に立つだろうと思いweb業界への就職を決めました。

早弥香(以下、早) 私は、学生時代のゼミの先生の影響が大きいですね。「心地よい暮らし」や「ものが売れる仕組み」に興味があって、家政学部のライフデザイン学科に進み、インテリアやマーケティングを学んでいたんですが、当時は「エコ」とか「スローライフ」とかに注目が高まっている時期でした。先生がその辺りを深掘りしてすごくいい問題提起をしてくださる方で、どんどん関心が高まっていきました。

− じゃあ、出会ってすぐに意気投合という感じだったわけですね。

 そうですね。生き方とか働き方の志向は近いなと感じました。休みの日も、人混みに出かけたりはせず、公園行ったりキャンプ行ったりという感じでお互い楽しんでいましたし。

− 就農するために動き始めたのは、いつ頃からだったんでしょう。

 結構早くから、2人で関東圏の有機農家さんを訪ねたりはしてましたね。

 庄内に引っ越してくる3〜4年前くらいから、ちょこちょこ行ってましたね。

 あとは、サラリーマン向けの就農準備校というのがあって、土曜日に隔週で農家さんを訪ねて実践を通して農業について学ぶんですけど、仕事をしながらそこにも通っていました。

− 就農することへの不安はなかったんですか?

 もちろんありました。会社員という立場から、まったく経験がない世界で独立するわけなので、特に収入面での不安はありました。それでも、有機農業をやりたいという強い気持ちは消えませんでしたね。定期的に行っていた海外旅行も我慢して少しずつ貯金もしました。何かを選ぶということは、何かを捨てるということなので、僕にとっては当然の選択でしたね。

 漠然と大変だろうなというのは感じていましたが、2人で頑張っていこうという気持ちの方が大きかったですね。

− 庄内ではない場所への移住は考えなかったんでしょうか。

 いくつか候補はあったんですが、最終的には「子育てをするならどちらかの親がいる場所で」という理由で庄内に決めました。

− 雄季さんの実家がある埼玉県はどうだったんでしょう。

 広い農地が少なく、いくつか農地を借りる必要があって、効率が悪いと判断し、やめました。山も海も近いところで気持ちよく暮らしたいと思ったことも、庄内に決めた大きな理由ですね。

− 庄内に移住して、すぐに独立したわけではないんですね。

 「体験」というレベル以上の経験を積む必要があると考え、農事組合法人で9ヶ月、ご夫婦でやられている農家さんのもとで1年、研修生として働かせてもらいました。

早 その間私は、子育て支援やフリーペーパー制作の仕事をしていました。

雄 それと、研修先に通う都合で、移住してから2年くらいは庄内町に住んでいたんです。

− その後、遊佐町に引っ越してきたタイミングで独立したというわけですね。

雄 そうですね。

− ゼロから農業を始めるって、ものすごく大変だと思うんですが。

 かなり大変でした。秋に引っ越したというのもありますが、1年目はビニールハウス建てたり、水やりのための配管したりっていう、栽培の準備だけで終わりましたからね。

− 栽培を始められたのは、2年目からということですね。

 はい。でも、全然うまくいかなくて、ほとんど出荷することができませんでした。いきなり有機で始めることに不安があり農薬も使おうと決めてスタートしたんですが、やっぱり使いたくない気持ちが勝ってしまって。技術が未熟だったことはもちろんありますが、それ以上に栽培を進めながらも方針が定まらなかったことが原因でした。

− その間の収入ってどうしていたんですか?

 空いた時間でweb制作の仕事をしてつなぎました。でも、どっちつかずになってしまうので、独立3年目の昨年からは農業1本にしています。

− 農業というはじめての仕事、やっぱり大変ですか?

 楽ではありませんが、自分が好きで選んだ道だし、やっぱり成功させたいですね。

− 「はじめての土地だからより大変」ということもありますか?

 それはないですね。消防団や娘の保育園などを通じた地域とのつながりにとても恵まれていて、コミュニケーションがいい気分転換にもなっていますし。

− お2人はどんなふうに役割を分担しているんでしょう。

 私は、定期宅配便の梱包や発送、それに入れるお便りの制作、お問い合わせの対応、経理などバックヤードの業務が中心です。畑では、主力であるミニトマトの剪定や収穫、出荷作業がメインで、他の作業は家事や育児の合間を見て手伝う感じですね。

 僕は、その他の農作業全般を行いながら、経営方針を決めたり、それに基づいて栽培計画を立てたり、全体の動きを見ているという感じです。

− 農家として働き暮らしてみて、どんな部分にやりがいを感じていますか。

 まだまだ失敗の方が多いですが、確実に上達している実感はあります。有機農業の場合、少量多品種というスタイルの方が多く、うちもそうなんですが、いろんな作物で彩られ畑が美しくなっていくのが本当に楽しいですね。

 メールや電話が中心ですが、お客さんとのコミュニケーションが1番のやりがいです。みなさん楽しみに待ってくれていて、応援もしてくれて、本当にありがたいなと思います。

 その気持ちに応えられるように、もっともっと頑張っていきたいですね。

− 目標など、今後の展望について教えてください。

 よりおいしい野菜を安定的に届け続けるために、失敗と無駄を確実に減らしていくこと。これに尽きますね。

 野菜を育て届けるという、農家としての基礎をしっかりと固めつつ、人がつながる農業をしていきたいですね。今でも、友だちが家族で遊びに来てくれたり、収穫体験イベントをやってみたりということはあるんですが、たくさんの人と一緒に楽しめる農業ができればなと思います。

− 最後に、これから働き方、暮らし方を選択していく世代にメッセージをお願いします。

 ぼんやりとでもやりたいことがあるなら、頭の中で考えるだけじゃなくて行動してほしいですね。その仕事をしている人に話を聞きに行ったり、インターンとして働かせてもらったりすることで見えてくることは必ずあるので、恥ずかしがらずにアクションを起こしてほしいです。

 いろんな人の話を聞くのは、本当に大事だと思います。あとは、自分で決断して、その決断に自信を持って進むことですかね。「1度は外に出た方がいい」っていろんな人が言っていて、私も東京に出て一人暮らしをしたのはとてもいい経験だったと思うし、得られたものも大きかったけど、それが正解とは限らないので。自分自身で道を決めていく上でも、いろんな人の話を聞くことは大事にしてほしいですね。