出会い続けた先に、 地元で楽しむ自分がいた。
株式会社米シスト庄内
佐藤 優人(さとう・ゆうと)さん
庄内町出身/庄内町在住 30代
▼高校入学後の歩み
・1年目〜
大学に合格し上京。 大好きな音楽や映画などを通じ、たくさんの出会いを経験する。
・5年目〜
Uターンし米シスト庄内に就職、農業をゼロから学びながら、新規事業として加工品開発を手がける。営業の責任者として全国を飛び回りつつ、イベント運営などオフでもさまざま活動を展開する。
おもしろいと感じたことには即座に飛びつき、徹底的にやり抜いて本質をつかみ、新しいことに活かす。端的に言うと、佐藤優人さんはこんな生き方をしてきた人だ。
中学校までは陸上に打ち込み、三種競技(現:四種競技)で県トップレベルの成績を収めるほどだった。しかし、高校入学後に怪我をしてその道を断念せざるを得なくなる。「誰よりも詳しいと思っていた」というほど当時から音楽や映画も好きで、東京に出たいと考えていた優人さん。怪我による引退と、ある私立大学の校風に惹かれたことをきっかけに一念発起し猛勉強、見事合格し東京行きを決める。
憧れの大学での生活に少しずつ慣れてきた頃、漫画喫茶でアルバイトを始めた優人さん。給料日に通帳の残高を見て、ふと考えた。「夜勤にも積極的に入っていたので、結構な金額が振り込まれていたんです。でも、そのお金を稼ぎ出すためのスキルは、苦労して身につけたものではないことに気がついて。学問を突き詰めていくことそれ自体がすごく大事なことだと思っているし、学ぶことは今でも好きなんですが、親が汗水垂らして稼いだお金で入れてもらった大学で、自分が学んでいることをどう社会に還元できるのか考えたとき、具体的なイメージが湧かなかったんです」。
今の自分が東京でしかできないことはなにか。考えた末に出した答えは、人のつながりをつくることだった。「東京に行って1番驚いたのは、道行く人も、音楽や映画が好きな人も、本当に多種多様だということ。だから、できるだけたくさんの人と出会おうと思ったんです」。どんどんと上がり続ける、大好きな音楽や映画への熱。ライブハウスや映画館で日々新しい出会いを重ねつつ、サークルの仲間たちとともに、トークライブなどさまざまなイベント企画にも打ち込んだ。大学での企画からのスタートだったが、それが話題を呼び、いつしかさまざまなイベントの制作や運営を依頼されるようになっていったそうだ。そんな楽しい東京暮らしの中、ふと手に取った1冊の雑誌が優人さんをUターンへと導くことになる。
自分にしかできない農業のかたち。
「『どうなる?日本の米農業』みたいな特集で、読んでみたら父が出ていたんです。『継いでほしい』なんて1度も言われたことがなくて、会社のwebもそのとき初めてちゃんと見たんですが、結構おもしろいことやってるなと思って」。時を同じくして、東日本大震災が発生。輸出米の事業を手がけていた米シスト庄内も、風評被害による大きなダメージを受けた。「家族から電話でそのことを知らされて、まあ考えますよね、身の振り方を。で、自分が出会ってきた人の中には、飲食を仕事にしている人もいたので、営業という形で会社の力になれるかなと思ったんですよ」。
可能性すら考えたことがなかった農業の世界へ踏み込むべく、Uターンすることを決めた優人さん。自分1人で背負うには、父親が培ってきたノウハウや人とのつながりは大き過ぎると考え、大学のサークル仲間を連れて庄内に帰ってきた。1年目の稲刈りが終わった頃、中心となり新事業を立ち上げることになる。会社所有の、加工品用・米油用など用途が決まっている田んぼの米を活用し、一緒に来てくれた友人とともに試作を重ね、揚げ油も含め米100%のかりんとう「かりんと百米(ひゃくべい)」を誕生させた。それまでは県外の法人相手に事業を展開していた米シスト庄内だが、百米ができたことで一般消費者への販路が拓けた。優人さんが東京でつくった大きな人の輪から、百米は全国へと広がっていくことになる。
人の輪で、つながる仕事と暮らし。
ミュージシャンと地域の飲食店が集まる、暮らしのお祭り「ドゥワチャライク」や、ゲストを招き、働き方・暮らし方について語り合う「酒田モシエノ大学」など、今も変わらない音楽や映画を愛する気持ちに、東京での経験をかけ合わせ、さまざまなことに取り組んでいる優人さん。百米を通じて仕事でつながった人もたくさん来てくれるそうで、「最近、オンとオフの境目がなくなってきている」という。
庄内に戻ってきてからも、地域を越えてたくさんの人とつながり続ける優人さんだが、「とても狭い視野で生きていた」と自らの高校時代を振り返る。視野の狭さに気づかず、偏見や誤解で誰かを傷つけてしまっていたかもしれないことは、今でも後悔しているという。「だから、高校生には『たくさんの人と出会い、まず話してみること』を大切にしていってほしいんです。東京で本当にいろんな人と出会えたことは、どんな人とも分かり合おうとする姿勢を身につけられたという点でも、とてもいい経験でした。東京での暮らし、農業やイベント活動を通じて全国各地にできた友だちは、僕の生活をとても豊かにしてくれています。テレビを見るとき、秋田が映ればアイツの、奈良が映ればあの人の顔が浮かぶように、事件や災害で報道される県名や町名の陰には、必ず生々しく生きる命が存在しています。いつも顔を合わせている庄内の友だちとはもちろん、他の地域とも確かなつながりが感じられて、いつも誰かの顔を思い浮かべながら田んぼに立てていることは僕の誇りです」。
優人さんとつながる人の輪は、ここ庄内からまだまだ広がり続けていくことだろう。
休日の過ごし方は?
誰かに会いに行く
会いたい人がいれば、基本的には必ず会えるくらいの地域の規模と人の近さも、庄内のいいところだと思っていて。休みの日も誰かに会いに行ったり、好きな人と一緒に、また別の好きな人のお店に行ったりしています。