Feb 22, 2018

自分の気持ちに正直に、楽しんで挑戦を続ける。

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「やっぱり、英語だけを勉強しに行くのはもったいないですよ。まあ、自分に英語以外の明確な目標があったかというと、なんとも言えませんけど」。2度のカナダ暮らしを経験し、鶴岡に戻って9年目になる土屋陽子さんは、そう言って笑った。
1度目は、高校卒業から5年目のこと。地元の金融機関で営業職として働いていたが、「この暮らしをそのまま続けていくことに違和感を覚えた」のだという。「会社でも資格取ったりとか、いろいろ勉強させてもらっていたんですけど、当時はなぜか勉強したい欲がすごく強くて。英会話教室に通って気を紛らわせていたんですけど、どうしても留学したくなってしまったんです」。4年間勤めた時点で会社を辞め、留学資金を貯めるため1年間ひたすらバイトをしたそうだ。その様子を見て、当初反対していたご両親も根負けし、ある人に会うことを条件に留学を認めてくれたという。
「どうやって探したのかわからないんですが、カナダで暮らした経験のある大川さんという方を父が連れてきてくれたんです」。「なんで留学するの?」「日本の大学じゃだめなの?」など、たくさんの質問を浴びせかけても食らいついてくる土屋さんを見て、大川さんは、留学するエリアや学校、ホームステイ先まで紹介してくれたそうだ。「行く前にたくさんいい問いかけをしてもらって、本当によかったです。大川さんにはもちろん、親にも感謝ですよね」。
1年間の留学生活を終え鶴岡に戻った後、土屋さんは外資系企業へと入社する。本社があるドイツから来て鶴岡に常駐する幹部の方の秘書、多言語打ち合わせでの通訳、社内資料の翻訳など、英語を活かした業務を担当していたが、壁にぶち当たってしまったそうだ。
「やっぱり1年くらいの留学じゃ、ビジネスの場で英語を使いこなすことって難しいんです。しかも業界の専門用語も多いから、毎日必死でしたね」。1年半ほど勤めた後、今度は学生ではなく社会人として実務経験を積むために、土屋さんは再びカナダへ渡ることを決意する。

 

 

英語以上に学びの多かった、2回目のカナダ暮らし。

最初に就いた仕事は、不動産会社の営業アシスタントの仕事。鶴岡での秘書経験を活かし、順調に仕事をこなす日々を送っていたが、ひょんなことから新たな一歩を踏み出すことになる。「私が住んでいたブリティッシュコロンビア州が、当時不動産業界の景気がよくて。『お金出してあげるから、資格取りなよ』って上司に言ってくれて、働きながら大学の通信講座で勉強させてもらっていたんです。ものすごく難しかったですけど、資格はなんとか取ることができました」。
カナダで不動産売買仲介を仕事にする場合、個人事業主として活動するのが一般的だという。つまり土屋さんは、日本でも経験したことのない自営業を、カナダでやっていたのである。「自営という点でもそうですけど、不動産の仕事がすごくおもしろくて。人とこってり付き合う仕事なので、人柄だけでなくお国柄みたいなものに直に触れられて、とてもいい経験でした。電話口で発音をバカにされたり、治安の悪さを目の当たりにしたり、ネガティブな経験もしましたけど、おかげでメンタルも強くなりましたしね」。

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大好きな鶴岡で、子どもたちの未来を見据えて。

2度目のカナダ暮らしは、4年間。帰国後、鶴岡で暮らすことを選んだのは土屋さんにとって自然な選択だったという。「不動産売買の経験を活かして、首都圏や仙台で働いてもよかったんですけど、家族の近くにいたかったし、やっぱり鶴岡が好きなんですよね」。そんな土屋さんが今働いているのが、YAMAGATA DESIGN 株式会社。まちづくりをミッションとし、鶴岡サイエンスパークの未利用地開発などを進めるこの会社で、2018年秋オープン予定の「KIDS DOME SORAI」のプロジェクトリーダーを務めている。オリジナルの遊具やさまざまな体験型プログラムを通じて、子どもたちが「好き」を見つけられる場所を目指しているという。「鶴岡、とてもいいまちなんですけど、首都圏などに比べると体験できることが少ないですよね。子どもたちがいろんなことを体験し、その中から自信を持って『好きだ』と言えることを見つけられる。そんな場所にしていきたいですね」。
行く先々で壁を乗り越えてきた土屋さん。故郷鶴岡での新たな挑戦は、もうはじまっている。